私ね、つねづね考えることがあるんです。
失明したらどうするか。
失明する可能性があるのか?と言われると、わかんない。まだ見えてる。
ただ、目を酷使する仕事で、すぐ目が疲れる。
どんどん視力も悪くなる。視力検査の一番上のCが見えなくて、看護婦さんがCのカード持って近づいてくる。どんだけー!って自分で言ってしまう。
もし、見えなくてもパソコン講師出来るだろうか、なにか得意な研究をちゃんとしたほうがいいのか、いや最近は記憶力も悪いし、ここは感覚つかうほうが良いんじゃないか。そうだ作曲しよう!
まずはピアノだな。と、買ってから・・・はや10年は経つかもしれない!あかんやん!いまだになんにも弾けんよ「(≧ロ≦)
でも、視力失ってからの集中力で、聴力、触覚でなんとかなるとか思って、ずっと大事にもっている``r(^^;)
最近目にした絵本。「みえるとかみえないとか」ヨシタケシンスケさんの本。
なるほどなぁ。そっちはどんなふう?こっちはこんなかんじ! そんな感じ。
自分と違うとちょっとなんか・・・だけど、同じだと安心。 そんな感じ。
気持ち的な部分はわかるんだけど、実際には?元ネタを読んでみた。
なるほどなぁ!いいなぁ~と、個人的に思ったこと。
見えない世界というのは情報量がすごく少ないんです。コンビニに入っても、見えた頃はいろいろな美味しそうなものが目にとまったり、キャンペーンの情報が入ってきた。
でも見えないと、欲しいものを最初に決めて、それが欲しいと店員さんに言って、買って帰るというふうになるわけですね。
目に飛び込んでくる情報に惑わされない。衝動買いがないじゃん!(≧∇≦)ノ
見えない人の空間把握の仕方がわかるのは、見えない人の住まいのインテリアです。
・・・中略・・・
乱雑さの度合いが低い、ということです。余計なものがなく、散らかっていない。
きちんと整理されていて、片付いているのです。
理由は簡単です。物がなくなると探すのが大変だからです。
あらゆるものに「置き場所」が決まっている。そうじゃないと自分が困るもんね。
ドアが半開きになっていても、自分がぶつかってしなうかもしれないのでちゃんと閉めます。もし一緒に住んでいる人がいたら、その人が片づけられない人だったら…
大変だろうなぁ
でも、これは誰の身にも降りかかってくることだと思います。
人間歳をとると、視力も筋力も弱まります。物探すのも、落ちたもの拾うのも、大変になるかも。
そう思うと加齢で動きが鈍くなる前に、身の回りの物を減らして、安全に快適に暮らせるようにしていたいですね。
あー両親にこれを伝えたい!
足元も高いところもモノだらけ。危険だしホコリまみれで不衛生。
しかし!言っても聞いてもらえないし、激しい抵抗にあう「(≧ロ≦)
最後に面白いと思ったことを。
回転寿司はロシアンルーレット。という説。お寿司には香りがほとんどありません。見えない人は、目の前を通過する寿司がなんのネタかを確認することができないのです。
もちろん、お店の人に頼んで食べたいものを握ってもらうこともできます。
でも、その状況をあえてゲームとして楽しむこともある。
まず皿を取ってみて、食べてみて、何のネタかを当てるのだそうです。
なかなか見える人にはできないことですよね。つい見ちゃう。
他にも、パスタが好きでレトルトをまとめ買いしている人の話では、
パックってすべて同じ形をしているから、開封してかけてみないと何のソースかわからない。ミートソース気分の時にクリームソースが当たるときもある。
それも楽しみにしちゃうって。
聞いてるだけでワクワクしちゃう!
もしも私の視力がどんどん悪くなって見えなくなっても、怖くなくなったかも。
不便を楽しむ、想像力を想像させる、ポジティブにやっていけそう!
ただ・・・ひとつ不安があります。
目の見えない人は、メモがとれないから、すべてを記憶しているということ。
私の脳みそは・・・今でさえ記憶力が怪しいので、やっぱ脳トレからですね!
筋トレも必要かも。
のんびり歳とれないなぁ(笑